CASE STUDY

サステナブルな酒造りとは?沢の鶴×ヤンマー「酒米プロジェクト」が描く日本酒と農業の未来

つくり手お酒

ヤンマーは創業300年以上続く日本酒メーカー沢の鶴株式会社(以下、沢の鶴)とタッグを組み、2016年3月から「新しい酒米を作る」プロジェクトに取り組んでいます。この度ヤンマーは、酒米の王様・山田錦を目指し、新しい酒米OR2271(品種登録出願中)の育種に成功。2022年6月には、当プロジェクトの集大成となる日本酒「NADA88(なだ はちじゅうはち)」が沢の鶴より発表されました。

今回編集部は、沢の鶴取締役・製造部部長兼総杜氏代行の西向賞雄さんに「NADA88」の醸造について、そしてヤンマー技術本部中央研究所バイオイノベーションセンターの小西充洋さん、藤原正幸さん、新井由紀さんには新しい酒米OR2271について話を聞きました。

“新しい酒米を作る”というチャレンジから始まったプロジェクト

1717年創業、兵庫・灘五郷で米屋の副業として酒造りを始めた沢の鶴。「米を生かし、米を吟味し、米にこだわる」という理念を掲げる中、米作りのプロと協業して、新しい酒米そして新しい日本酒を生み出す機会を探っていました。

一方ヤンマーでは、日本の米の需要減少そして後継者不足といった問題解決のために、近年世界的な人気が高まっている日本酒の原料となる酒米に注目。「生産した米を余らせない、より売れて儲かるようにする」という課題を解決し、安定経営をサポートするため、育てやすく酒造りに適した新しい酒米を栽培したいと考えていました。

日本酒メーカー、米農家、そして消費者にとって “三方良し” となる新しい酒米を栽培することでサステナブルな農業を実現させ、日本の農業を明るくしたい。同じ志を持った両社が出会い、2016年3月より「酒米プロジェクト」を始動させることになったのです。

新しい酒米の育種、そしてXシリーズ01~03の誕生

酒米の王様とも称される山田錦は、80年以上もの間トップの座に君臨。沢の鶴でも山田錦を使った多くの名酒を生み出しています。しかし、山田錦は背が高いため稲が倒伏しやすく、栽培が難しいという課題を抱えていました。また、山田錦は米粒の内部に亀裂が入る“胴割れ”が起こりやすく、精米過程で割れてしまうといった課題も。割れてしまった米は原料処理で吸水にばらつきが生じ、場合によっては雑味が生じるなど、 酒質にも影響します。

そこで沢の鶴からは、「育てやすく、胴割れが少ない酒米を育ててほしい」とオーダー。ヤンマーの持つ研究機関であるバイオイノベーションセンターのメンバーが中心となり、名古屋大学との共同研究で沢の鶴の要望に合う種子を選定、その酒米を沢の鶴が何度も試験醸造することで、最初の原料米OR1241(品種登録出願中)が誕生したのです。

●X01原料米(50%精米)

OR1241を含む複数の酒米で醸された「沢の鶴X01(エックスゼロワン)」は2018年3月に発売し、限定本数4,000本が瞬く間に完売。2019年に発売した「X02」からは、2年におよぶ研究・試験で高評価だったOR1241に絞り込み、ICTを活用した栽培の見える化、五感を総動員した酒造りで高い評価を得ました。2020年3月に登場した「X03」は、OR1241を使い「無濾過 / 袋吊り / 貴醸酒(※1)(きじょうしゅ)」と製法を変えた3種類をラインアップ。日本酒の様々な賞を受賞しています。
※1 貴醸酒:水の代わりに日本酒で仕込んだ、独特のとろみがある甘口のお酒。

酒米プロジェクトの集大成となる「NADA88」、誕生!

そして2022年6月、ヤンマーが育種を手がけた次なる酒米OR2271を使って醸した「NADA88」が誕生しました。米という漢字を分解すると「八十八」になりますが、米の栽培や酒造りにはそれほど手がかかるといわれています。灘の地で、米にこだわり続ける沢の鶴の熱い思いを込め、酒米プロジェクトの集大成となるお酒には「NADA88」とネーミング。乾杯酒や食中酒にふさわしい、上品な果実香がフワっと際立つ純米大吟醸酒は、口に含むと梨やバナナを思い起こさせ、米由来の甘味と品のある旨味が楽しめます。

デザインはヤンマーのデザイン室が担当。沢の鶴の米へのこだわりを象徴する※印から着想を得た「NADA88」のロゴをはじめ、随所に米へのこだわりをデザインしています。ボトルは沢の鶴の未来、農業の進化、テック感を感じさせるシルバーを採用。紙管は新しい酒米の特徴である倒れない稲の幹部分をグラフィックで表現。また、パッケージでも未来に繋がるよう、紙管で使用する紙は、廃棄される災害用備蓄米などの米を混ぜた紙を採用しました。

― 「NADA88」の開発コンセプトを教えてください

沢の鶴西向さん

新しい酒米OR2271は、ややアミノ酸量が多いお米です。繊細でクリアな味わいのお酒が多い大吟醸において、アミノ酸の多さはデメリットに取られてしまうことが多い。しかしそれは、一つの価値観でしかありません。酒造りにおいて適正なアミノ酸量であるなら、その特長を生かす生(き)もと造り(※2)にして甘さとのバランスを取り、旨み・膨らみを持たせた大吟醸をつくりたいと考えたのです。
※2 生もと造り:日本酒を造る過程「酒母造り」を、蒸し米・水・麹・酵母・乳酸菌を使い手作業で行った製法。

「沢の鶴X01」~「X03」の醸造に携わる中、我々は米の特長を生かす方法を考え続けました。若手杜氏にも多くを任せていますが、彼らも米を見ながらあらゆる可能性を考えてくれています。この酒米プロジェクトを進める中で積み重ねてきた経験が全て、「NADA88」に集約されたと感じています。

― 完成した「NADA88」の反応はいかがですか?

沢の鶴西向さん

営業メンバーから「沢の鶴のラインナップと違った味わいで美味しい」という反応や、試飲された方からも「思ったほど甘くなく、スッキリした味わい」といった感想をいただきました。同業の方からは生もと造りで大吟醸を醸すことへのご意見もいただくのですが、沢の鶴には元々生もと造りの純米大吟醸 「敏馬の浦(みぬめのうら)」があり、社員たちもこの味わい深い大吟醸をとても気に入っています。

米屋の副業から始まった我々は米にこだわり、米の美味しさを生かした酒造りがしたいと考えています。そしてお客様には日本酒のさまざまなバリエーションを味わっていただきたいですし、日本酒メーカーとしてこれからも新しい価値観を提供したいです。

― 新しい酒米を使った酒造りはいかがでしたか?

沢の鶴西向さん

OR2271は心白(白濁した中心部)が大きく、たんぱく質や脂質といった雑味のもとが少ない、酒造りに適したお米です。ただ、心白が大きいがゆえに、磨く(精米する)際に若干割れやすい傾向も見られましたが、精米歩合は47%で果実のような香りがしっかり出たので、これ以上磨かなくてよいと判断しました。

お酒の味は、米を磨けば磨くほど淡麗かつ繊細になりますが、旨みなども一緒に削られます。企業理念として米の良さを生かすことを掲げている沢の鶴は、米を磨く以外の酒造りがあると考えています。そして「NADA88」においては、OR2271が持つアミノ酸の甘み・膨らみを存分に活かせた大吟醸ができたのではないでしょうか。

また、OR2271を栽培してくださった米農家の方が「必要であれば来年も作りますよ」と仰ってくださったことが非常に嬉しかったです。育てるのに苦労したり、経営的に成り立たなかったりした場合は、そのような声はいただけないでしょう。日本酒メーカーとして、米農家さんと「来年も酒米を作りたい」と思ってもらえるようなWin-Winの関係性を築くことは、とても重要だと感じています。

― 6年に及ぶ酒米プロジェクトでどんなことを得られたのでしょうか

沢の鶴西向さん

沢の鶴1社だけでは難しい、酒米の育種ができたのは非常に良い経験となりました。何度も試験醸造を繰り返し、それぞれの米の評価を行うことで、私たちも酒造りにおける米の重要性を改めて実感。これは大きな財産になったと感じています。

山田錦と双璧をなす品種を、という想いで作られた「OR2271」

酒米プロジェクトから誕生した新しい品種OR2271は、米農家自身が育てるメリットを感じられる、高い付加価値を狙って育種されました。 新しい酒米はどのようなプロセスを経て誕生し、未来の酒造りにどのような影響を与えるのか。ここからは今回の酒米プロジェクトで育種に携わった、ヤンマー技術本部中央研究所バイオイノベーションセンター主幹の小西充洋さん、同バイオテックグループ のグループリーダー藤原正幸さん、同プロセス技術グループの新井由紀さんに解説してもらいました。

― OR2271の育種はどのように進めたのですか?

ヤンマー小西さん

一般的に、米の育種には10年程かかると言われています。それは、新しい品種として認められるまでに種籾(たねもみ)を蒔いて収穫し、狙った結果が出たものを選別して蒔いて収穫し、再び選別して蒔いて…と繰り返し世代交代を行い、遺伝子の中に情報を固定させる必要があるからです。ただし、今回の酒米プロジェクトでは10年もかけることができないため、二段構えで育種を進めることにしました。

一段目は、世に出ていない遺伝資源の中で、世代の進んだものから、沢の鶴さんの要望に合うものをいくつか絞り込み、実際に圃場で栽培・収穫し醸造試験で選抜するという方法です。そして試験醸造を行った結果が良かった品種OR1241(品種登録出願中)を使って、「沢の鶴X01」~「X03」を世に出しました。 二段目は、酒米として定評のある山田錦の血を引く約3,000種の中から、我々が狙いとしていた倒れにくさや、お酒にするときの加工のしやすさなどで種子を絞り込んで世代を進め、最終的にOR2271を選定。つまりは「1を3,000にして、また1にする」といったイメージです。

― 狙いとしていた点について詳しく教えてください

ヤンマー小西さん

山田錦は背が高く、上手に育てないと途中で倒れてしまい、稲穂が水に浸かると廃棄になってしまうこともあります。新しい酒米について望むことを農家さんへヒアリングした際も、稲穂の倒伏しにくさを期待する声が挙がりました。OR2271では、山田錦が持つ倒伏性が大きく改善されています。また、選抜時のデータでは、OR2271は米の粒が球状に近く、山田錦と比較して縦の長さが短いので、研究所としては精米時のロスが少なくなるのではと期待しています。

ヤンマー藤原さん
沢の鶴さんからも、お米は周縁に近い位置から削る方が割れる率が下がるので、酒米は球状に近い方が理想的だと伺っていました。今回我々がOR2271を開発したのは、その狙いもあります。

― その他、山田錦と比較したときの特長はありますか?

ヤンマー新井さん

試験醸造時には山田錦よりも溶けやすく、生成酒の量が多く経済的であり、濃醇な味の純米酒を目指すには向いている可能性が示されました。

― 酒米プロジェクトを通じて得た成果は、どのようなものだったのでしょうか

ヤンマー新井さん

新しいお米を品種登録する際、形質を固定させるために何世代も繰り返して栽培する必要があります。だからこそ、育種には10年ほどかかるのが一般的です。しかしOR2271の育種においては、夏はもちろん冬もセンター内の温度管理された圃場で繰り返し栽培することで、3年間で品種登録出願の基準を満たすまで固定することができました。

ヤンマー藤原さん
バイオイノベーションセンターの研究は、数多の遺伝資源候補から適切な種子を選ぶ手段と、世代交代の期間を短くする技術にポイントがあります。我々はその手法を確立させ、3年という比較的短い期間で選抜サイクルを回せました。このことは高く評価できると考えています。

ヤンマー小西さん
我々の所属するバイオイノベーションセンターでは、栽培管理、微生物利用、そして遺伝育種という三つの柱を掲げています。ヤンマーはお米と馴染みが深い企業ですが、日本の米農家が抱える「お米を作っても儲けることが難しい」という問題解決のため、遺伝育種分野の技術を用いて酒米の付加価値を高めようとしています。そして今回、OR2271を完成させることができました。今後もし、お客様より「こういう品種が欲しい」というオーダーを頂けたなら、酒米プロジェクトを通じて得た育種のノウハウを活かせるのでは、と考えています。

沢の鶴とヤンマーが考える「サステナブル」な酒造り・米作り

― それぞれの立場において、持続可能な酒造り・米作りについてお聞かせください

沢の鶴西向さん

改めて見直してみると、酒造りはとてもサステナブルなんです。例えば精米過程で出る赤糠(あかぬか)からは食用油が採取できますし、中糠はペットフード、白糠は団子などと使い道が決まっていて、殆ど廃棄物がありません。酒粕も食べることができるので、この観点から言うと我々は非常にサステナブルな産業だと言えるでしょう。 また、お酒の原料となる酒米はとても大切ですので、米農家さんが安定して持続的に栽培できる環境を整えることは非常に価値があると思っています。

ヤンマー小西さん
一番大事なのは、米作りを儲かる産業にすることではないでしょうか。米農家を続けたいと考えるには、稼げることが何よりも重要です。今回の酒米プロジェクトが目指した、「作りやすく付加価値の高い酒米」のような品種を作ることは、持続可能な米作りへ寄与できるでしょう。

また、環境の面からは、水田から出る温室効果ガス(メタン)の排出量を減らすことも重要だと考えています。その解決策として有効と考えられているのが、秋の稲刈り後速やかにすき込み(稲わらを圃場に混ぜる)を行ってガスの発生を抑えること、あるいは稲わらを外に持ち出すことです。すき込みや持ち出しなどの作業の省力化は、ヤンマーが得意とする機械の技術が貢献できるでしょうし、そういった作業が収量や食味の向上につながる品種開発なども可能性があるのでは、と考えています。

酒米プロジェクトはサステナブルな酒造り、そして米作りへの大きな挑戦であり、完成したお酒をみなさまの元へ届けることで実を結びます。当プロジェクトの集大成となる「NADA88」を楽しみながら、今回ご紹介した日本酒と農業の未来へ思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。